ジョン万次郎とはどのような人物?

ジョン万次郎とはどのような人物?

ピースオブケーキを受講した人であれば、ジョン万次郎という名前は既に聞いたことがあると思う。

しかし、どういった人物なのか知っている人は意外と少ないかもしれない。

そこで現在の日本の英語に大きく影響を与えた、ジョン万次郎についてみいこうと思う。

ピースオブケークの公式
無料体験レッスンを試す!

ジョン万次郎の一生

ジョン万次郎の生涯は驚くほど波瀾万丈で、映画のような人生である。

幼少期から遭難まで

ジョン万次郎は1827年1月1日、土佐の中浜の貧しい漁師の次男として生まれた。

家庭が貧しいため寺子屋にも行くこともできず、読み書きもできなかったと言われている。

そんな中、万次郎は14歳の時、仲間とともに漁に出て遭難し、鳥島という太平洋のど真ん中の無人島に漂着してしまう。

万次郎たちは漂着から143日間もの間、雨水やアホウドリ、魚を食べて何とか生き延びる。

ジョン・ハウランド号との出会い

ジョン万次郎達は近くを通ったアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の乗組員によって救出される。

他の仲間はその後ホノルルで降ろされたが、少年の万次郎は船の残りたいと訴え、船長のホイットフィールドとアメリカに渡ることになる。

そしてマサチューセッツ州フェアヘイヴンにあるバートレット・アカデミーに通い始める。

言葉という言葉というハンディキャップがあるにも関わらず、2年半で英語、測量術、航海術、数学、造船術等を習得し、捕鯨船に乗り込めるだけの知識を身につけてしまう。

ゴールドラッシュ、そして帰国

数年後、帰国を決意するが、彼は当時ゴールドラッシュで沸くサンフランシスコへ渡り、鉱山で金を掘る仕事に就く。

そこで得た資金を元に船を購入し、ホノルルへ渡り、かつての漁師仲間と再会している。

そして、日本へ帰国し、一行は手厚い歓待を受け、アメリカで手にした知識を教えるよう依頼されることになる。

47日間の期間で万次郎は、身につけた知識を惜しむことなく、薩摩藩に伝えている。

故郷・土佐藩へ

その後、ジョン万次郎は長期間の尋問を受けてしまうが、地元土佐藩のお役人様に引き取ってもらえ、11年振りに故郷の土を踏む。

この11年のアメリカでの経験や知識は、幕末の島津斉彬、坂本龍馬、勝海舟、福沢諭吉など多くの重要な人物に影響を与えることになる。

ちなみにこの時に使われていたのが、幕末リスニングで使われているカナを使った発音表記である。

通訳としても日米修好通商条約の批准書交換のため、勝海舟とともに咸臨丸で渡米している。

ピースオブケークの公式
無料体験レッスンを試す!
TOPページを見る